自分のヨットで世界を回ろうと決心したのは1971年でした。
そのころの僕はハワイでダイビングの修行をしていて時々ホノルルのアラワイヨットハーバーに顔を出していました。
そこで出会ったアメリカのヨットは南太平洋で数年間クルージングをして帰ったばかりでしたから熱い口調でクルージングの楽しさ素晴らしさを話してくれました。
もっと遡れば小学生のころキャプテンクックの本を胸を高鳴らせて何度も読み返していたことがあったから下地が出来ていたのかもしれません。
元来冒険とか探検、未知の世界にあこがれる性格もあったのでしょう。
16歳から20歳までは殆どの休日や自由時間を山登りとユースホステルを使って旅行し将来は山小屋経営か登山ガイド、旅行業かツアーガイドになろうと真剣に考えていたくらいです。
それが突然のようにダイビングに変更しダイビングショップを経営することになりました。
初めて水中で呼吸し、スキンダイビングでは到底行けない深い海の底の景色を見たとき「これ以外に自分の生きる道はない」と思ったのですからかなりの単細胞なのでしょう。
当時の日本のダイビング界はアメリカと比べると随分遅れていましたから何はともあれアメリカへ行かないと・・と脅迫観念のようになって移民船ブラジル丸に乗りました。
そこで前記のような出合いがあったのです。
そのころはダイビングの楽しさを一人でも多くの人に教え、伝えたいと言う気持ちが強くヨット販売業やヨットのガイドになろうとは思わず45歳になったら航海に出ようとだけ決めたのでした。
帰国してダイビングショップを始めるとたくさんの仲間が出来ました。
その仲間達に見送られて当初の予定より早い43歳の船出でした。
出航予定日は運悪く低気圧の通過日となり出航を一日遅らせたので5月連休の二日を見送りに費やした仲間達には申し訳ないことでした。
低気圧を追いかけるように出航したホロホロ3世が太平洋に出ると待っていたのは大きなウネリでした。
丸3日間経験したことのない程の船酔いでカッパを着たまま床に転がり友達がくれたりんごとバナナを「食べなければ死ぬ」とだけの思いで口に入れました。
20年の夢がこんなくるしいとは・・・引き返そうかとまで考えたほどでした。しかし「船酔いで死んだ人はいない」の言葉どおり4日目には二人とも元気を取り戻し、シャワーを浴びて洗髪し髭を剃ると鼻歌まで出るほどに回復。
ハワイ、ホノルルまでの航海日数は37日間でした。
途中セールがやぶれたり、航海灯やハッチが波で壊れたりぶっ飛んだりとトラブルはありましたが海鳥や亀、イルカや鯨を友達に釣った魚を肴に朝日、夕日を見ながら一杯やる生活は退屈など全く無い充実した日々でした。
ヨットの名前のホロホロとはハワイ語で「大した目的も無く、出歩いてぶらぶらする」といった意味を持っています。
昔の友人知人を訪ねたり、壊れたところを修理したり、この後進んでいく南太平洋の情報を仕入れたりしながらハワイのほかの島々を移動して約一ヶ月忙しく動き回ったので船名のホロホロには似合わない日々でした。
今にして思えば日本の生活が抜けていなかったのでしょう。
日本人根性とでも呼べばいいのか??そしてこれはなんとこの後3年近くもの間続くのでした。
「世界一周に出たからには何が何でも回ってしまわないと・・」 友達になった殆どの外国のヨットから「なんでそんなに急ぐんだ」と言われる度に「日本人だから」と答えていました。
日本人が考えると世界一周に3年近くかけることを忙しいとは思わないかも知れませんがヨットで海外に出る人が多い国の人たちは7年かけて世界一周するのが標準なのです。
8年間クルージングをして、出航から12年以上過ぎた今もヨットを海外においている僕にはそのときの忙しさは滑稽な思い出になっています。
4年目くらいから「日本人なのになんでそんなにゆっくりしてるの?」と言われるまでに成長?しました。
それにしても59カ国1000箇所近い異なる入り江や港、島影をネグラとした今
は、海外のヨッティにさえ尊敬の眼で見られるまでになりました。なにしろ誰もが怖がって行
かない様なところも、気にせず平気で何日でも泊まるんですから余程の馬鹿でなけれ
ば真似もできません。
地球の回転方向から考えても赤道付近の風は基本的にかなりの強さで東から西に向かって吹いています。
日本からハワイまでは向かい風でしたがその後の航海の殆どは横風か追い風で西へ西へと進みました。
西回り航海です。 殆どのクルージングヨットは航海が楽な西回りを選びます。
「ヨットで知らない国に行ってどのように入国手続きをするの?」と良く聞かれますが、ヨットで世界を回っている人は意外に多く、世界中の殆どの地域にロングクルージング(何年間も航海を続けている船)しているヨットがいます。
その人たちがクルージングガイドブックを書いているのです。
殆どが英語ですがA国に行くなら手続きは何処の港が簡単だとか、燃料はここに行けば買えるとか銀行、市場など必要な殆どの情報が入っています。
もっとも重宝するのが泊地の案内です。
季節によって何処にヨットを停めると安全かとか、海図では載っていないほど詳しく目標物や水深、危険な暗礁が書かれています。
ホロホロは今回の航海で15冊のクルージングガイドブックを使いました。
また海の地図とも言うべき海図は1500枚を持っています。
ヨットで世界を回ると言うと、危険なことと思われがちですがそれ程のこともありません。危険の殆どは岸近くにあって、沖のほうではかなり安全です。近くでの危険はまず船や網などの仕掛けが多く、見張りを続けていないとぶつかります。また浅瀬に乗り上げることも考えられます。錨を入れて眠っている間に、風が強くなったり風向きが変わって流され、浅瀬に乗り上げたりもします。その点沖合いでは船に会うことは殆ど無く(日本からハワイまでの37日間で視界に入った船は四隻だけ、それもはるか離れたところでした。また大西洋横断は16日間でしたが全く船に会わず、ガラパゴスからマーケサス間は21日でしたが2隻しか視界に入りませんでした)ホロホロの場合、夜はレーダーをかけてしっかり眠りました。天候の急変を心配する人がいますが日本近海のように天気が変わりません。それと航海できるシーズンと言うのが半年ごとに決まっていて、安全と言われる時期はほんとに安全なのです。たとえば南太平洋の島々を回るのは4月末からから11月はじめまでとなっていますから11月にはハリケーンが来ても大丈夫な港で半年間を過ごします。ホロホロの場合ニュージーランドとオーストラリアで半年づつ過ごしました。 海賊の心配をする人もいます。たしかにマラッカ海峡やスル海に海賊は沢山います。しかしマラッカ海峡を毎年何百隻のヨットが通過しますが海賊に襲われたヨットは知りません。ホロホロもマラッカ海峡を4度通り海峡で20回は泊まりましたが海賊は来ませんでした。基本的に海賊が狙うのは大型の船のようです。
愉しいことは沢山あります。ダイビングが好きな我々は今航海中700箇所以上に潜りました。 海が変わると魚も変わります。 東太平洋の魚、西太平洋の魚、インド洋の魚、紅海の魚、地中海の魚、大西洋の魚、それぞれ特徴を持った魚がいます。 目的の魚が見えると嬉しくて図鑑片手に写した写真と見比べて喜びました。 海底の景色の違いも感激でした。 釣りも楽しく、また食料と晩酌の肴確保にかかせません。釣り過ぎないように、良く釣れる所ではルアーを自作して試したりもしました。 イカを狙って夕方は仕掛けを流します。朝アンカーチェーンに集まるアオリイカをルアーで釣り上げます。 魚好きの僕は釣るだけでなく食べる楽しみもありました。大きな魚は切り身にして塩をし、少し乾燥させて保存したりもしました。 いろいろ工夫する楽しさがあります。 着いた泊地からできる限り旅をします。 知らない土地のいろいろな建物、動物、風俗、習慣何よりも楽しいのは人との出合いでした。 山に登ったり地元の人と一緒に生活の体験をしたり、貧しさに驚くこともあれば生活の知恵に驚くこともあります。 親切に感激したり、騙されて悔しがったりもありましたが旅だからこそ味わえる沢山の感激がありました。 熱すぎる時には高地に避暑に行ったり、トレッキングツアーに参加したり海に限らずできる限り足を伸ばしました。 ヨット仲間との交流もかかせません。 情報交換をかねて同じ泊地に数艇が集まると大体、誰かが音頭を取って浜で料理,酒持ち寄りのパーティーが開かれます。 その中で特にウマが合ったりすると数日から数ヶ月一緒に行動します。 ホロホロが一番仲が良かったスイスのヨット「シッピボ」とはカリブ海からタイのプーケットまで4年間を常に連絡をとりながら付いたり離れたり、ハリケーンシーズンも一緒にいろんなところに行きました。 再会も楽しみの一つでした。紅海を一緒に航海した友達が4年後オーストラリアにホロホロが到着したことを聞きつけて会いに来てくれたり、オーストラリアで一緒に航海した人にタイで会ったり、数え上げるときりがないほどです。 再会するとその間のことを話しながら一緒に食事をしたり、話しきれずに数日間また共に航海したりと同じ生活をしているものだからこその話が続きます。 ヨットも人生も友達がいてくれるから余計愉しく面白い!
現在ホロホロはフィリピンのネグロス島にあるヨットクラブにいます。 2000年にフィリピンに入ってから日本に帰ろうか、もう一度コースを変えて一周しようかと迷いながらフィリピン国内をアッチコッチと航海していました。何しろフィリピンは5千以上の島があり、海も綺麗で、物価も安く、マニラは例外として地方に行くと貧しいながら人は親切で愉しい航海ができます。 大好きなドリアン、マンゴ、マンゴスチン、パパイヤ、ランブータンなど美味しい果物が豊富です。 あと5年ほどは日本の名山に登りながら、フィリピンの島々を巡りたいと思っています。
2005年9月15日
日本に帰港して
2007年6月9日、14年一ヶ月と6日ぶりにホロホロは出港した徳島の橘港に
戻ってきました。 湾に進入して感じた事、出港した時
にあった二つの造船所は閉鎖され大きな石炭火力発電所が出来て湾内の景色を変えて
いました。 ホロホロも大きく変わりました。出港時
は新艇でピカピカだったウインチは光を失い、ツルツルだったハル(船殻)はザラザ
ラで錆びや汚れで別船のようです。 セールもシート
も疲れたようにヨレヨレです。
心でしか見えない大きな荷物も変わっていました。出港の時、満船になるほど積み込
んでいた「夢」は行きたかった島や入り江に到着する毎に「夢」は一つ一つ
「現実」となり、そこを離れる時は「思い出」と言うものに変わって積み込み込まれた
のです。全く形が無く我々にしか見えない「14年余
の思い出」 改めて船内を見回し、共に過ごし、体験してきたホロホロと美由紀に心
から感謝しました。 僕が動けてホロホロに脚を運べ
る限りこれらの思い出を溢れるほど積んでいるホロホロを大事にしたいと思っていま
す。またもう少ししか残っていないけれど降ろせなか
った夢を育て増殖させるかも知れません。
そして・・・ここに帰ってきて改めて見直した二人の姿は艇同様に大きく変わってい
ました。
船出した時は二人とも44歳。白髪も殆ど無かったし、髪の毛もありました。老眼は
気配すらありませんでした。岸壁から一メートル程
下になるデッキに飛び降りる前に考える時間も掴まるものも不要でした。 今は二人
とも重度の老眼に乱視。僕の額は広がり全体も落葉
樹の林に冬が来た様になっています。頑丈さが自慢だった歯の何本かはグラグラして
います。物忘れがひどく二人の会話には「アレやソレ、
・・・の近くの・・・だの、誰だった?何だった?いつ頃だった?」などと言う言葉
がやたら使われています。
人は歳をとります。体力も衰えるし、歯も目も耳も・・頭まで悪くなります。やがて
は大事にしている思い出さえ「思い出せなくなる」
でしょう。それは自然の成り行きですから無視することは出来ませんが悲観する必要
もないでしょう。
日本に戻ってきた今、確かにあの時から比べると老いてはいますが「新たな出発点」
に立った気もしています。 そして改めて「気力」
だけは失わず、次ぎの目標に向かって一歩一歩進むこと、若い時と同じには出来ない
けれど若い時と同じ気持ちで何事も諦めず日々を愉し
く、愉快に計画的に生きて行きたいと思っています。
2010年までは一年のうち五ヶ月程度をキャンピングカーで「日本の名山に登る
旅」をし、残る七ヶ月は四国でヨットをしたり、潜ったり、
釣りをしたり、罠を仕掛けたり、近くの山に登ったりの生活を「友達と一緒に」愉し
みたいと思っております。
14年余の期間をホロホロは三つの違ったタイプでクルージングをしました。初めの
二年半は団塊世代の日本人らしい目標達成(世界一周)
の「為のような」航海。二つ目は世界の平均的で理想的な一周スピードと言われてい
る「一周を七年でするペース」で五年。最後に
最近多くなっている物価が安く、気に入った地域から余り動かず「生涯」をヨットで
暮らす生活型六年余です。
僕自身の感想として初めのクルージングタイプは「失敗」に近いと思っています。忙
しすぎました。世界一周のスピードは矢張り殆どの
欧米ヨッティがする七年前後が一番だと思います。安全で愉しく適当な変化が絶妙と
も言える期間と感じました。最後の「生涯型」は
ここ数年、急激に増えています。自分の国で暮らすには「年金が不足」な人が、物価
が安く、気候が良く、経済的に余裕が持てる国や地域
で長距離のクルージングはしないでディセーリング程度で変化を持たせながら「乗れ
る間」ヨットで生活するのです。今後も益々増えてく
ると思えるタイプで、最近日本人にもこのような人を見かけるようになりました。六
年間して「安全、快適」だしヨットだから家を借りた
り建てたりしてそのような国や地域で暮らしている人たちより「簡単に」移動できる
から変化があり、特に年金が不足気味の人や配偶者が
いない人は簡単に良い相手が見つかるので最高と感じました。病気の心配もあります
が殆どの病気は現地で対応できるし、非常に安くて
日本の3割負担以下で済みました。また日本で治療を受けたいと思っても東南アジア
であれば飛行機に乗れば4〜6時間で日本ですから
日本の「山奥」に住んでいる人たちとそう変わらないでしょう。
日本人の心理や食生活から考えて欧米各国のように「誰でも」がクルージングに出る
時代は来ないでしょうが、これからまだまだ増えると
思うロングクルージング。ヨッティとして暮らしてみようと考えている方々、知りた
いこと、疑問に思うことがあれば僕以上、失敗を重ね
たり広範囲に体験している日本人は居ないと思うし、出し惜しみする性格ではない
し、41歳で早期退職した僕は「老後の過ごし方」
の見本の一つになろうと58歳の現在を生きています。出来るだけ多くの人達に愉し
い老後を送って欲しいと願っていますので知っている
限りのことはヨットに限らずお話しできます。いつでも電話でもメールでもまた徳島
に居る間や旅の途中で直接でもブログや掲示板で僕の
様子を見て連絡くださればお会いすることもできます。 「講演」するときは僕の予
定を変更したりするので多少お金を頂いていますが個
人的な場合は友達と考えていますのでその心配は要りません。気軽に訊ねて下さい。
最後に今航海最終の航海、フィリピンから徳島までの航海はレーダーが故障していた
こと、海上で赤痢の発病、日本近海の地獄の海とも
言える海況にかなり打ちのめされ、(ブログ2007年4月末から6月中を読んでく
ださい)日本に到着してからは「日本」と言う規制
だらけで「世界中で一番自由な乗り物」のヨットにとって地獄のような国にあきれな
がらも従うしかない「不自由」な生活を送っています。
ヨットを持った殆どの人が考える「いつか海外へ」は日本に居るより簡単で愉しく、
安全で海の中のイルカの様に、空を飛ぶ鳥のように
自由な世界です。思い切って帆を揚げましょう。いまつくづく世界の海で過ごした時
間を「愉しかった」と感じ、生まれ変わってもこれ
だけはまたしたいし、もしかすると・・・・・・・かも・・・
2007年6月20日 溝田正行